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佐渡市新穂田野沢(にいぼたのさわ)にございます。寶智山 菩薩寺(ほうちざん ぼさつじ)の住職・松山隆典です。当菩薩寺は、県道65号線より約1キロ入った集落にございます。菩薩寺やこの村を見守るしだれ杉(天然記念物)は樹齢千年以上です。
田野沢地区に大同四年開基の菩薩寺と天福元年開基の圓蔵坊があったが、明治十一年合併となる。大正年間、本堂・庫裡とも火災に遭い全焼となり復興する。平成二十年檀家の厚い御寄附により本堂の増築・客間の新築を行った後、境内の造園にもとりかかり、現代に到っている。
境内には、観音堂があったが、先の大風により大破しやむなく本堂の横に増築し安置し現在にいたっている。観音堂には聖観音菩薩を祀っているが、以前は両津湾を一望できる観音山に安置されていて海上しけの前、漁船に知らせをしたと伝えられ、別名(舟止め観音)と言われている。聖観音菩薩は、平安時代の作と言われ文化財に指定されている。また、境内の入り口には、しだれ杉が三本有り樹齢千年を越す大杉が鬱そうと繁っていて、文化財に指定されている。
弘法大師・空海(774-835)は、宝亀(ほうき)5年6月15日、現在の香川県善通寺市にお生まれになりました。15歳で都に上り、18歳の時に大学に入学。中国の哲学、思想を学びますが、立身出世を目的とした大学の学問に疑問を感じるようになり、24歳の時、『三教指帰(さんごうしいき)』を著すと、山野を巡り修行する出家修行者となり、各地で厳しい修行を重ねました。
延暦23年(804)7月、31歳のお大師さまは遣唐使船に乗り長安をめざし、密教の師を求めて諸寺を歴訪し、正統な密教を受け継ぐ唯一の僧侶、青龍寺(しょうりゅうじ)の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に巡り合い。恵果阿闍梨は受け継いだすべての教え、密教の奥義をお大師さまに伝え、お大師さまは密教の正統な後継者となるのでした。すべてを伝えた恵果和尚は「一刻も早く日本に帰り、密教を広め人々を幸福にするように」とお大師さまにすすめ、20年間の留学僧としての勤めを2年足らずで切り上げ帰朝しました。
帰朝後は、恵果阿闍梨の教えどおり真言宗を立教開宗し、京都の教王護国寺(東寺)、和歌山の高野山を拠点として活躍します。宗教活動はもとより、社会活動や文芸活動、書など多岐にわたり、偉大な足跡を残されたのでした。