管明寺ホームページ<管明寺の醍醐味
● 本堂
● 県道沿いの白象
● 二体の不動明王と眷族
● 弘法大師生い立ちの絵
● ぽっくり地蔵
● 天満宮
● 日吉神社射手畑跡
● 四十九院の塔婆で囲まれたお堂と子安地蔵
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管明寺
天満宮祭りの白象
不動明王は大日如来の化身、災いを断ち切る仏ですが、このお寺では昭和11年に乗光坊と三諦坊が合併されたことで、2体の不動明王を祀ることになりました。不動明王の眷族(けんぞく)は八大童子で使者ですが、不動明王の脇侍は次の二童子を伴う名作が多く、ここでも慈悲の化身で小心随順する矜羯羅童子(こんがらどうじ)と、不動尊の化身で方便心行を司る制口屯迦童子が祀られています。
真言宗の開祖弘法大師のご生誕 | 十五歳、都へ遊学する | 四国室戸岬に苦修練行する青年空海 |
延歴二十三年(三十一歳)入唐求法のため大海に浮ぶ | 長安、青龍寺における真言受学 | 大唐より三鈷杵を投げる |
高雄山寺(京都・神護寺)時代の弘法大師(日本真言の哲学体系を樹立する) | 弘仁七年十月嵯峨天皇のため病気平癒を祈る | 高野山開創の意義 |
讃岐万濃池の修築 | 東寺の下賜と綜藝種智院の創設 | 承和二年三月二十一日高野山において大師ご入定 |
お参りすれば亡くなるまで健康で、亡くなる時は、迷惑かけずにぽっくりとあの世に行くことを助ける地蔵様です。
新穂佛教護国会(宗派を問わず、新穂地域全寺院)の団体でいろいろな奉仕活動を行っています。1月小寒〜節分に新穂全住宅を廻り托鉢の浄財を預かり、その浄財で花祭り・慰霊祭・福祉施設への寄付等を80年以前より毎年行っています。白像は花祭り(5月8日)にお釈迦様の誕生会とし(本来ならば4月8日がお釈迦様の誕生日ですが4月は保育園児が参加するには寒い日も多く、花も少ないと考え、一ヶ月遅れとしました。)白像にお釈迦様をのせ園児が引いて町の通りを練り歩きます。天満宮にその白像を保管しています
佐渡における天台宗の拠点であった小木町の小比叡山蓮華峰寺に京都北野社を本拠とした御(おし)が、北野神社の分霊を勧請してやってきたのが興国5年(康永4年:1345)と言われるので、天台宗の宗家、比叡山延暦寺と通じて、最も関係の深い近江国日吉神社の新穂庄に、北野天満宮が建立されたのはこの年代よりあまり遠くないと思われます。
管明寺前身の乗光坊・三諦坊ともに天神様を奉っていたので、昭和11年両寺の合併後は天満宮も一ヶ所になりました。6月24日宵祭り、6月25日本祭には、大小5台の神輿(みこし)が「ちょうさや」の掛け声で町を練り歩きます。途中山王神社の鳥居にて三回円を描くように廻り、神輿の寄付者の家(本間万吉・上酒屋)にそれぞれ同じように三回廻ります。
神輿の後には、蛇腹提灯(男の子が生まれると子どもが成長して雄雄しく立派に育つことを願い、親や祖父母が天神祭りに参加)や大小さまざまな提灯行列が続き、毎年賑わっています。昔は全島より数百を数える馬が集まり、せりあい祭りが行われていたとのことです。
水子供養の方、子宝に授かった方、子どもの安全祈願等にご利益があります。地蔵菩薩像、よだれ掛け、お花、お茶等の奉納が多く、お堂は四十九院の塔婆(梵字で書かれた細長い49枚の木製板)に囲まれている大変珍しい形態です。四十九院とは、未来に成仏する弥勒菩薩のいる兜卒天に四十九重の魔尼宝殿があるのをいったもので、亡者が兜卒天に生まれるよう手助けするものです。
子安地蔵